残された人にとっての物語なのかもしれない。:にじいろガーデン/小川糸

にじいろガーデン/小川糸

これは残された人にとっての物語なのかもしれない。家族とは血の繋がりではないというメッセージなのかもしれない。小川糸らしい、暖かいけど少し風が吹くような読了感。

 

ここからはネタバレありの感想です。

 

あらすじ

離婚間際の35歳泉が、女子高生千代子の自殺を止めたら、運命の人だった。家族になって、子供2人と幸せに暮らした。泉と千代子は歳の差があり、性別が一緒だった。そんな話。

 

感想

偶然出会いはスピードを持って運命になった。自殺を止めるつもりで声をかけたら、自分のほうが世話を焼かれてしまう泉。そして間もなく結ばれた二人。物騒な話ばかりを読んでいる私は、こんな勢いで付き合いだしてしまったら後が怖いのでは?と妄想した。千代子がやはり世を儚んでしまうのでは、二人の愛に見えたものは逃避だったのでは、両親が怒り狂ってふたりの生活を壊すのでは、と戦々恐々しながら読み勧めていた。

妄想に反して、運命になってからも(駆け落ちをして星の綺麗な場所で住み始めてからも)二人の世界は輝いていた。

 

泉は男の人と付き合って、結婚して、子供を産んで、と、"普通"のレッテルを貼られるような人生を歩んできた。千代子と出会って、"普通"である(ように見られたい)ことに縛られながらも、ありのままで生きていくために折り合いをつけて、家族を作った。

 

所感なんだけど、私はこの折り合いをつける行為が誰かと一緒にいるために必要なことだと思っている。それは外から何を言われたって、本人たちが納得して、それで無理なく回っていければ良いこと。

食器とシンクは別のスポンジで洗ってだとか、私以外の女の人と連絡をとらないでだとか、内容や程度に差はあれ、ルールはこうです。納得しました、無理なく続けられます。であれば外からあれこれ言われる必要はない。

だから泉のこだわる"普通"なんてどうでもいいじゃん!と思いながら、子供がいじめられないか、という不安もわかる。ままならない。

 

作中では家族に許される、パートナーとして病気に寄り添う、周囲にパートナー、家族として認識されるシーンがあり、現実はそんなにうまく行かないと思わないでもなかった。だけど、あっさりと描かれているにせよ近所から遠巻きにされる、嫌がらせを受けた時期もあり、「淡々と、前を向いて生きることにした。(2章115p)」という努力の賜物だったのだろう。

 

泉と千代子の関係は夫婦愛で、幸せな家族だったと思う。では終盤で明かされた草介の感情は?個人の幸せを全て叶えることは、全体の幸福には繋がらないというジレンマ。

ただ草介は墓場まで持っていくと決めて、その気持ちを宝が汲んだ。それだけで十分報われるような気がした。

草介が、宝に言った「事実は、時に間違うこともあると思うんだ。でも真実は、どんなに世の中が変わっても、普遍的なんだよ。大事にしなくちゃいけないのは、真実の方だと思うんだ(3章217p)」「そうやって僕は自分の中に発生する違和感を、その都度その都度なだめてきた。(同)」という言葉通り、草介は千代子に恋愛感情を持ったという事実よりも、家族であるという真実を大事にした。

 

仕事が楽しいと言いつつも、ボランティアでバランスを取ったり、仕事の夢を見たり、きっと真面目だったから真面目に自分を追い込んで、それにも気付けなかった草介。千代子が死に誘ったわけではないけど、危うい状態に、想い人の死がひと押しをした、のかもしれない。泉と宝が大切であることは間違いないと思うけど、もし草介が自分の意思で飛び込んだのなら、最後の糸が切れてしまって、泉の言う通り割れてしまったのかもしれない。せんなきこと。

 

タカシマ家は間違いなく幸せな家族であったから、残された方は悲しみや、後悔をどうしたって持つ。それでも生きていくしかないから、残した人よ、世界は美しいですよ、そう思うことで前を向いていく。しょうがないじゃん、と諦めるよりもなんだか明るい気持ちになった。

 

 

この先の未来について。泉の言った、一緒になるために「ベストを尽くす」という言葉がなんだか辛かった。努力する必要なんてなく、誰もが希望を叶えるため、いろんな選択肢がある世界になるといい。籍を入れること、姓を選ぶこと、子供を望むこと。